水谷石材ブログ
2020年06月
2020.06.30
社長の思い
仕事柄墓石の刻字を読むのですが、今仕事をしている墓地の一角に大きな日露戦争戦没者の墓石があるので読んでみたところ
墓石側面には生立ちに続いて第二軍の転戦過程が刻まれ、明治37年(1904)8月31日首山堡にて戦死とありました。同日同地では歩兵第三四聯隊橘周太大隊長も戦死された激闘の地に伊豆から出征した22歳の若者がいたことを忘れてはいけないと思い投稿します。
下記は刻字の途中抜粋です。
下記は刻字の途中抜粋です。
三十四年十二月入歩兵第三十四聯隊三十七年八月進上等兵同年日露戰役興五月上陸清國猴兎石參與普蘭店附近戰闘爾後參與於六月得利寺附近七月蓋平附近及大石橋附近八月海城附近及鞍山站附近之各戰闘尋參與遼陽附近首山堡之激戰奮進突撃君遂戰死實明治三十七年八月三十一日
- 1 / 1